外国籍住民比率が全国の市区町村で最も高く、区民の5人に1人が外国籍住民である大阪市生野区において「大阪・いくの発! 多文化共生の希望の種リレートーク」が、2月16日(土)、多文化共生拠点「いくのパーク」で開催され、107名(うちオンライン56名)が参加した。会場ではさまざまなセクターから、熱のこもった多文化共生にかかわる実践報告と議論が行われた。主催は「わかばプロボノプロジェクト実行員会」(NPO法人IKUNO・多文化ふらっと/大阪府立大阪わかば高等学校/シミポタ運営事務局)。
第1部は実践報告として、大阪府下の8校目となる「日本語指導が必要な帰国生徒・来日生徒入学者選抜」を実施し、現在日本語指導が必要な生徒74名が在籍している同区内にある大阪わかば高校の授業実践~地域連携科目「インターンシップ」を事例として~が報告された。続いて、昨年11月に約250名が参加する中、いくのパークで行われた多言語による絵本の読み聞かせ行事「いろんなことば&色んな絵本 de いくのっこパーク」について読み聞かせに参加した大阪わかば高校の外国ルーツの生徒たちの感想を交えながら報告された。
第2部のリレートークは、最初にコーディネーターの今井貴代子さん(大阪大学社会ソリューションイニシアティブ)が、生野区の多国籍化・多文化化の地域特性やこれまでの実行委員会の経緯概要を行った。生野区全体の人口減が進む中で、外国籍の0歳から4歳までの人口が増大している興味深い数字も示された。保幼小中高校、NPO、財団、企業、行政など幅広いパネリスト等が参加した。
■「支援する側と支援される側が固定化されることなく、いったりきたりしながら混ざり合う」
地域の愛信保育園の金恵心さんは、生野区が在日コリアンの多住地域である一方で、園に通う子どもたちも多国籍化しているとし、同園では月に一回「にじいろメニュー」と題してベトナム、フィリピン、中国などの多国籍の給食を提供していることを報告した。多文化ふらっとの事務局スタッフの橋本真菜さんは活動概要を述べながら、「NPOの力には限りがある。それがNPOの弱みであり、また強みでもある。支援する側と支援される側が固定化されることなく、いったりきたりしながら混ざり合う。互いに無視できなくなる関係ができあがる。それをぐるぐる回していることが必要だ。いくのパークではそうした動きが始まっている」と述べました。大池小学校の教員の韓文亨さんも同校の多文化共生教育の実践や国際クラブ等の多様な教育実践について報告した。
■ 「学校と地域との連携関係は、あったらいいものというレベルではなく、必須である」
大阪わかば高校の教員の金山翔基さんは「日本語実践」の授業報告を行った。授業目標は「日本語と母語を使って社会貢献をする」であり、地域の生野支援学校の生徒や町会の高齢者との交流について報告をした。金山さんは授業実践を通じて外国ルーツの生徒の成長や学ぶ意欲などが激変する姿を目の当たりにして、「学校と地域との連携関係は、あったらいいものというレベルではなく、必須であると実感している」と感想を述べました。
■「生野区には『在日』との共生の歴史があり、他の外国人を受け入れる土壌がある」
㈱三栄金属製作所の社長の文敬作さんは、社員約100名のうち半数がベトナムからの従業員で、すでに永住権者が8名おり、家や自動車を購入している、と述べました。「地域の町工場では後継者不足で事業継承がうまくいかなく廃業にする場合も増えている。同社では10の工場のうち3工場の工場長はベトナムの方が担っている。社内で日本語教室の運営、リーダー養成研修の実施、在留資格の変更のための手続きなども行っている」「生野区は在日コリアンと日本人との長い共生の歴史がある。こうした歴史があるからこそ、他の外国人を受け入れる土壌が培われてきた。生野区は日本の多文化共生のモデルになりえる」「日本人従業員と外国人従業者との給料を同じすることで、フリーに一緒に頑張るシステムをつくった。その後離職者はほとんどいない。技術は人の上に人をつくらず、人も一緒だと思う」など、熱く語る文社長の言葉に会場参加者も大きく頷く姿が印象的でした。
■「まちを変えていくのは一つの店舗から、一人の起業からである」
続いて、㈱RERTOWNの社長の松本篤さんは、同社の設立のきっかけや事業概要の説明に続いていくのパークで定期開催されている「いくの万国夜市」の目的について言及した。「まちを変えていくのはある一つの店舗から、ある一人の起業からであることを、大阪のいろんな場所で見てきた。生野区の夜を盛り上げ地域経済の活性化に寄与できれば。また外国ルーツの方はもちろん、たくさんの食にかかわる起業家を育てたいと思っている」と語りました。
リレートークの最後に生野区長の筋原章博さんは、「生野区には日本語指導が必要な子どもたちも急増している。既存の支援体制と手法だけでは対応できない。行政だけではなく、こうしたネットワークの力が必要なのは明らか。多文化共生社会は、人口減の日本社会が直面する課題そのものだ。これを乗り越えないと日本の未来はない。それを先導するのが外国籍住民の比率が最も高い生野区の役割であり、やっていかざるを得ない」と力強く語りました。
■「多様な人を育てていくことが、実はまちを育てている」
最後に(公財)とよなか国際交流協会常務理事・事務局長の山野上隆史さんからコメントをいただきました。「いろんな人が出入りできる場所、いろんな人が出かける場所があり、こうした出会いがまちのいたるところで行われている場所こそが、『誰もがいていい場所』、『顔が見えて安心・安全な場所』になる。子どもの人生を考えたときに、それぞれの局面でこれだけ熱をもってかかわってくれる大人がいることが地域に対する信頼や安心、自己肯定感につながっていく。多様な人を育てていくことこそが、実はまちを育てていることにつながる」と語りました。
■「生野区における多文化共生の地域内循環の仕組みづくりに」
最後に挨拶に立った多文化ふらっと代表理事の森本宮仁子さんは、今回の取り組みを経て、今後生野区における多文化共生の地域内循環の仕組みづくりにつながっていければと述べました。また多文化共生のまちづくりを生野区役所内で専担する「多文化共生課(異和共生課)」の新設を区長に提案しました。生野区における多文化共生のまちづくりの新しい展開を予感させる熱のこもったイベントとなりました。